明治に文楽の師匠が移り住み、浄瑠璃を教えたことから文楽人形浄瑠璃とは全く別物の、徳地独特の人形浄瑠璃が育った。戦前にかけては非常に盛んになるが、大正時代をピークに戦後は衰亡の一途をたどっていった。しかし関係者の熱意により、保存会が結成され昭和48年には山口県無形文化財に指定された。現在は小中学生に継承されている。
徳地人形浄瑠璃の特徴は、一人の遣い手が、浄瑠璃に合わせて七・八体の人形を操る一人遣いで、最小二人いたら上演できる。
徳地人形浄瑠璃は文楽のそれとは全く異なる形で栄えた。
地元で考案された串人形を一人の遣い手が何体も操るというものは、類似するものが秩父のある地方に現存する以外は日本国内には見られないものであることから、徳地独特のものであるといえる。