石風呂

石風呂の内部

岸見の石風呂(国指定重要有形民俗文化財)

岸見の石風呂

佐波川流域の石風呂は、文治年間(1185~1189)俊乗房重源上人が東大寺再建の用材をこの地に求めた際、人夫たちの治療と保養のため多数の蒸し風呂を造ったのが起源と伝えられているように、岸見の石風呂も天保14年(1843)の「注進案、岸見村付出し」と、安政4年(1857)「石風呂の記」によると、「文治2年に重源上人が東大寺再建の大勧進として周防国佐波川上流に用材を求めたとき、非常な難作業であり、人々の疲労もはなはだしく多数の病人や怪我人が続出し、これに悩むものが多く、上人諸人の苦悩見るに忍びず、所々に温室を造して是を救いたもう、その一つなり、室内の土石、底石には梵字を書写す」とある。

その構造は、野面石を内ぶくらみに組み上げ、止めに大石をもって蓋にして石室を築き、土間にも石を敷きつめている。石室の大きさは幅4.4m、奥行3.6m、高さ1.8mである。

石風呂を保護するために木造瓦葺(元は草葺きであった)132㎡の覆屋があり、4畳半と3畳の畳敷きの休息室があって、4畳半の間には重源上人の像と称する木像を安置する祭壇があり、入浴者は、入浴前に必ず祈念をこめるしきたりが現在も続いている。

この地方では、重源上人を「石風呂開山」とあがめて、その命日の旧暦の6月5日を「開山忌」として必ず石風呂を焚いてお祭りをしている。

入浴方法は内部で柴木2荷ほど焚き、残り火をかき出し、そのあとへ濡れ藁などを敷き、その上にむしろを置いて着衣のまま心静かに入り横たわるのである。

この場合、内部の温度を保つため、入口をふさぐのが普通である。3~4分して出て外で休み、さらに中に入る。これをくり返して体の疲れ・神経痛・打撲・くじき等の治療をする。

(徳地町史より)

 

 


野谷の石風呂(史跡名勝記念物)

野谷の石風呂

文治年間奈良東大寺再建に要する多量の材木が佐波川上流の杣山に求められ、伐採され、それらの材木は河水を利用して海に搬出されたのであった。巨材を多数搬出することは非常な難事業であり、猛暑・酷寒を通じて働いた人々の疲労も甚だしく多数の病人や怪我人が続出したので、それらの人々の治療と保養のため奈良から下った大勧進俊乗房重源上人の創始したものであるという。佐波川流域石風呂の類型に属するもので杣山で働いた中世の杣人の遺跡である。

この石風呂は佐波川ダム西岸に注ぐ佐波川の支谷四古谷川の下流右岸にあり、自然の巨岩の麓を横穴式に掘り込み前面を粘土と石で積み出入口を設け、狭い入口を入ると中は幅2m、奥行2.6m、高さ2.3mの室があり、同時に4人程度が利用できる広さである。そして石風呂のそばには念石(野面石)があり、入浴者は念石前に座し般若心経あるいは「南無阿弥陀仏」を唱えてから石風呂の中に入り疲労や傷病を治したのであった。

(徳地町史より)